京都で生まれ、大阪に住み始めて10年あまり。
生活の中で電車に乗ったり、地図を見たりしていると、気づくことがあります。それは、大阪が難読地名の宝庫だということです。
当初は「な、なんて読むねん、、」のオンパレードでしたが、その後難読地名に興味を抱き、読み方を調べ続け、今や“大阪の地名博士”として、人知れず、知られることは一切なく活動を続けています。
デデン!
そんなエイキチから、いきなりですが地名クイズ!
個人的にお気に入りの難読地名から7つ出題。君はいくつ読めるかな!?
●喜連瓜破
●野江内代
●杭全
●河堀口
●御幣島
●遠里小野
●立売堀
いかがでしたか?大阪に土地勘がある人でも難しかったのでは?
ということで、今回ピックアップした上記7つの難読地名の読み方を、由来も合わせて紹介していきます!
地名に興味がある方もそうでない方も、楽しんでもらえれば幸町!(※さいわいちょう。大阪市浪速区)
●喜連瓜破
(きれうりわり)
【大阪市平野区】
「大阪の難読地名と言えば?」と聞かれたときの個人的1位は迷わず喜連瓜破です。
その語感の良さから、不思議と何回でも言いたくなる駅名です。
実は「喜連」と「瓜破」という、2つの地名が合わさった駅名。二つの地名を合体させるパターンはよく見られ、大阪メトロでは他にも、「西中島南方」「関目成育」「太子橋今市」「千林大宮」「駒川中野」などがあります。
「喜連」の由来は、この地に移住した中国系渡来人「呉人」の「クレ」が訛ったもの。字は「“喜”びが“連”なる」を当てて、めでたい雰囲気にしましたね。
「瓜破」は、大化の改新があった時代(645~649年)、道昭というお坊さんが、天から降ってきた仏僧に瓜をお供えしたところ、パカッと割れたとされる言い伝えから来ています。
「破」が「わり」ですからね。意味は何となく通じるけども難しい。
●野江内代
(のえうちんだい)
【大阪市都島区】
こちらもお気づきの通り、二つの地名が合わさった“合体駅名”。
城東区の野江と、都島区の内代が合わさっています。
「うちんだい」て。「ちん」て。地名に普通「ちん」て入らんて。
でも、リズムがめっちゃ心地いい。「ちん」からステップ踏みたくなる感じ。
「野江」は、野原を意味する「野」と、岸を意味する「江」から成っていて、近くにある淀川と寝屋川による湿地帯に村があったことからこの名前に。
「内代」の由来は、江戸時代初期にこの地が徳川氏代官の領地内だったことから。
「代官の領地内」→「代官の内」→「代内」→「内代」になり、始めは「ウチダイ」でしたが、江戸時代の「摂津国」の文献には「ウチムダイと称す」の記述が。これが転じて今につながる「うちんだい」になったそうです。
●杭全
(くまた)
【大阪市東住吉区】
大阪市東住吉区の町名で、国道25号線を奈良方面に行くと、歩道橋で有名な「杭全」交差点があります。最寄りの駅はJR大和路線『東部市場前駅』。
これを「くまた」と知った時の、「勘弁してくれよ!」感はすごかったです。「くい」の「く」と、「まったく」の「また」はなんとか紐解けるのですが、「い」と「っ」抜かれたらわからんて。青天の霹靂すぎるて。
こちら、由来が諸説あります。
・何本もの川が合流している土地で、杭状に股分かれしている、もしくは九股に分かれているなどとした説。
・川の氾濫が多くそのための工事で、「杭を全て打ち終わった」という説。
・朝鮮半島の「百済(くだら)」からの渡来人がこの地に移り住んだ。「くだら」が訛って「くまた」になった説(杭全には、JR貨物の「百済駅」がある)。
などなど。個人的には「杭を全て打ち終わった」が、昔話っぽくてかわいくて好きです。
●河堀口
(こぼれぐち)
【大阪市阿倍野区】
「土師ノ里(はじのさと)」「当麻寺(たいまでら)」「浮孔(うきあな)」など、難読駅名がたくさんの近鉄南大阪線から、特に印象的だったのが、『大阪阿部野橋駅』から一駅の『河堀口駅』。
名前に「こぼれる」入ってるやん。動詞入ってもうてるやん。
第一印象はそんな感じでした。
788年に和気清麻呂という人物が、上町台地に開削した堀川のことを「河堀(こぼり)」と言い、それがなまって「こぼれ」になりました。
そしてこの地が開削工事のスタート地点だったので、「河堀口(こぼれぐち)」となったそうで、駅名はこの名前に由来しています。
「こぼれる」という言葉から液体を想像させますが、しっかりと水に関係しているところがなんとも素敵です。
●御幣島
(みてじま)
【大阪市西淀川区】
京橋駅から尼崎駅をつなぐJR東西線の駅。尼崎市にほど近い大阪市の端っこです。
御幣島の存在を知る前に「みてじま」の音だけを聞いた時、「美手島」みたいな字面だと勝手にイメージしていましたが、「御幣島」だと知って、この時も心の中で「うそつけぇ!」が炸裂しました。
「出来島」「姫島」など、西淀川区周辺はかつて海だったことから、「島」に関しては解決ですが、問題は「御幣」です。これはどういう意味なのでしょうか。
昔、神功皇后が戦いの後に朝鮮半島から帰ってきた際、この地にある住吉神社にお供え物をし、旅のお礼や国の安泰を願いました。
神様への捧げ物であるお供え物の総称を「御幣(みてぐら)」と言います。「幣」は貨幣や紙幣など、お金も意味しますもんね。貴重です。
言い伝えが神話レベルにまで達するとは思いませんでした。由緒えぐい。
●遠里小野
(おりおの)
【大阪市住吉区】
堺市との市境でもある大和川にも近い、南海高野線『我孫子前駅』(「あびこ」もムズい)周辺の町名。
僕が「遠里小野」の文字を見た時に必ず思い浮かべるのは、バブルガムブラザーズの『WON’T BE LONG』(EXILEのカバーもある)です。
曲冒頭の、「オリオリオリオ~ゥ♪」が、めっちゃ「遠里遠里遠里小野~♪」なんですよね。
地名の由来は、この地が瓜の生産地で(喜連瓜破も近い)、「瓜が生まれる土地」から「瓜生野(うりうの)」となり、それが訛ったものとされています。おそらく近世以降、万葉集にすでに登場していた「遠里小野(とおさとをの)」に「うりうの」を当てたのではないか、と言われているみたいです。
「うりうりうりう~♪」にならなくてよかったですね。
●立売堀
(いたちぼり)
【大阪市西区】
新町や阿波座といった、西区の住宅街にある町名ですが、おそらくほとんどの方が「たてうりぼり」「たちうりぼり」と読むことでしょう。
間違いではありますが、そのアプローチは割と間違えてはいません。
大坂夏の陣・冬の陣で伊達氏はこの地に堀を作り、陣地を構えました。
その堀が掘り進められ川になると、「伊達氏が作った堀」から「伊達堀(だてぼり)」と呼ばれることに。
江戸時代になると、幕府の許可の元でこの地に材木市場が開設されます。
材木商たちは客に見えやすいように材木を立てかけて販売、これを「立ち売り」と言いました。
そこから、「伊達(いたち)ぼり」の音に「立売」の文字を当て、「いたちぼり」と呼んだ説が有力だそう。
「たち」は一緒やからいけるか!っていうノリで生まれたんでしょうね。
さいごに
以上が、僕が好きな大阪の難読地名7選でした。
普段大阪に住んでいて目に入ったり、知ったりする中で、特に印象的だった地名を選びました。
調べて感じたのは、どの地名にも古い歴史があるということ。
「歴史のまち」という印象は京都の方がありますが、平安京に都が遷る前の約150年間は、「難波宮(なにわのみや)」が現在の大阪にあり、まさに日本の中心は大阪だったのです。街自体が持つ歴史の長さこそが、大阪が難読地名の宝庫になった理由なんですね。
難読地名を発見した時、「なんでこう呼ぶようになったんだろう、、」と調べてみたら、もっと大阪の街が好きになるかも。
以上、渋井不動産エイキチでした。