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町名、正しく読めますか

社内の誰よりも食物を美味しく食べられる女リサ

事の発端は、その日の朝礼当番だったリサが発した一言。
中央区で『町』がつく地名、正しく読めますか」だった。

もう少し分かりやすく言うと、「“〇〇町”と表記する地名、[マチ]なのか[チョウ]なのか正しく読めるのかい、どっちなんだい」ということである。

例えば、淡路町は”あわじまち”と読むし、神崎町は”かんざきちょう”と読む。そもそも、道修町(どしょうまち)粉川町(こかわちょう)なんて、読み方すらスッといかないかもしれない。

もちろんイチ不動産屋としては、「読〜める!」と答えねばならぬところだが、同時に、これはコラムのネタになるのでは?というイチ広報部員としての欲も出てしまったため、今回はこの題に対し掘り下げていこうと思う。

発端のリサがもぐもぐしている過去記事↓↓↓
今絶賛大流行中の「あんバターサンド」、火付け役のTalo Coffeeにお邪魔してきました。

中央区で「町」が付く地名

前提として、中央区には73の町名(例:中央区北浜、中央区大手前など)があり、うち『町』が付くのは42にのぼる。要は中央区の半数以上が『〇〇町』という地名なのだ。

さらに言うと、そのほとんどは[マチ]と読むそうで、数にすると33/42になるらしい。もしも朝礼で突然、”中央区〇〇町の読み方クイズ”が始まった際は、とりあえず[マチ]と答えておくといいだろう。

中央区の町名一覧/大阪市HPより

大阪歴史博物館で調べてみた

大阪歴史博物館写真左

ではなぜ、チョウやマチやとややこしくなってしまったのだろうか。その謎を解明すべく、我々は馬場町の大阪歴史博物館へ向かった。

ちなみに、馬場町“ばんばちょう”と読むため、もしもタクシーで「”ばばまち”の大阪歴史博物館まで」などと告げた日には、「お前に歴史博物館を訪れる資格はねえ」などと乗車拒否されかねない。くれぐれもお気を付けいただきたい。

大阪歴史博物館 なにわ歴史塾

そんなこんなでフロントのお姉さんに伺ったところ、「2階の”なにわ歴史塾“なら、大阪にまつわる本を取り揃えていますよ」と、今回の趣旨にチョウ絶マッチした情報を教えてくれた。

画像参照なにわ塾ブログ

中は図書館のようにたくさんの本が並んでおり、大阪にまつわる様々な資料を閲覧することができる。

学習のための環境が整っていなかった江戸時代の大坂には懐徳堂や適塾など、学習意欲に燃える人々が集った「塾」がありました。そのような「塾」 にちなんで「なにわ歴史塾」と名付けました。大阪をはじめ広く歴史や文化について、何か調べたい、疑問を解決したいという方は、どうぞお気軽にお立ち寄りください。

大阪歴史博物館:学習センター「なにわ歴史塾」

というわけで、[マチ]と[チョウ]という疑問を解決すべくお気軽に立ち寄った結果、「大阪の町名」という本を紹介された。ここからは、この本を読んでみて分かったことと、さらに調べて分かったことを纏めていこう。

町の歴史と中央区の爆誕

大阪の町名の一部資料

そもそも各地の城下町では、侍が住む地域を[チョウ]・町人が住む地域を[マチ]と読んでいたそう。

しかしながら、大阪では下町と山ノ手の区別が無かったため、皆が[マチ]と呼ぶことに慣れていたのがこの疑問のミソなのだ。そう考えれば、中央区〇〇町の33/42が[マチ]と読むのも納得だろう。

では、なぜここで[チョウ]がつく町名が生まれたのか。それは、『改正当時の町人達が声をあげてその名を残したから』である。正直、拍子抜けするほどシンプルな答えだが、当時の町人が声をあげなければ、リサのウルトラ町名クイズも幻になっていたかもしれない。

個人的に最も衝撃的だったのは、中央区は1989年2月13日に発足した大阪市内で最も歴史が浅い行政区ということ。もとは東区と南区にわかれていた合区で、今年34年を迎えたばかりのアラサー。そして最も歴史ある区は今年145年を迎える西区で、これは日本最古の区という驚きもぜひ知っていただきたい。

中央区の町名たち

せっかくなので、ラストにいくつか町名の由来も紹介しておこう。

①商業の中心だったことが由来の町名
・薬業の道修町(どしょうまち)
・玩具屋の松屋町(まつやまち)
・繊維業の本町(ほんまち)

②大名屋敷の所在にちなんだ町名
・北久太郎町(きたきゅうほうじまち)
・龍造寺町(りゅうぞうじちょう)

③神社・仏閣の名にちなんだ町名
・安堂寺町(あんどうじまち)

ちなみに、1585年に秀吉が大坂城の外堀として最初に掘った堀川である東横堀川の東側では、今でも城内であることを示す「内」が冠されている
・内平野町(うちひらのまち)
・内淡路町(うちあわじまち)
・内久宝寺町(うちきゅうほうじまち)
・内本町(うちほんまち)

いかがだったろうか。オチは至ってシンプルだったものの、町名から紐解いた意外な歴史が知れたのは、今回の大きな収穫ではないだろうか。

近年は新しい住戸が増え、人の入れ替わりも多い大阪。この町の歴史を知ったうえで生活を営む人々は決して多くないだろうが、知ればきっとこの町にもっと愛着が湧くに違いない。

以上、渋井不動産でした。

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  • 大阪市中央区〇〇町、「チョウ」「マチ」どっちなんだい問題。

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