1月某日、谷四にて
「谷四の1LDKは駅近め、壁も高め。ちょうどいい2人暮らしに。」の部屋にお邪魔すると、どことなく違和感を覚えた。廊下にはトイレや洋室の扉に続き、白いドアが並んでいる。
部屋の雰囲気をちょっとお洒落にしてくれるシマシマのドアは、ルーバードアと言うらしい。このシマシマのおかげで空気が通りやすくなり、湿気が溜まりやすい靴箱などの扉として重宝されるドアである。
そんなルーバードアが廊下に両開きで設置されているので、収納か何かだと思っていた。
では、この給湯スイッチは何なのだろうか。ここに?まさか?斬新すぎるだろう。違和感の正体はこれだったのだ。
あまりにも自然にそこにいるものだから、これは飾りか?なんて思いかけたが、わたしの内なる中森明菜が「飾りじゃないのよ」と熱唱している。そもそもスイッチの存在を肯定しなければ、湯は出ない。
開けてみると、さらに斬新な光景が待っていた。わたしが出会った配線の中でも、3本の指に入るやっつけ仕事である。
まさかドアを製造したメーカー側も、湿気を逃がすシマシマから配線を逃がすなんて夢にも思っていないだろう。わたしがメーカー側なら、アレンジレシピのようなノリで施工例に加えるかもしれない。
けれども言い換えると、壁に極力穴を開けたくないという説も伺える。その配慮は、歯科医ができるだけ抜歯せずに治療しようとする姿に似ていた。
部屋はそんな小さな配慮が詰め込まれた結晶だ。斬新な配線や配管を見ると、その裏側にどんなやりとりがあったのだろう、といつも気になってしまう。もしもそんな光景に出会った際は、少しだけ思いを馳せてみて欲しい。