昭和のネオンが消える
味園ビル。吉本興業本社やなんばグランド花月に程近い、飲み屋が乱立する難波千日前というエリアで、ネオン輝くひときわ異質な外観の建物です。
1955年にオープンした味園ビルですが、ついに今年5月、2階飲食店フロアの2024年いっぱいでの閉鎖が決まりました。
長年このあたりをウロウロしていた筆者だけではなく、ミナミを愛する全ての人々に悲しみをもたらした、「味園がなくなる」との知らせ。
元芸人時代に出演していたライブバーがあり、しょっちゅう訪れていた2階飲食フロアに、「味園はブログで絶対に取り上げたい」という思いのもと、今回取材に行ってきました。
かつてはキャバレーにホテルにサウナ、マッサージ店に、大人数が収容できる宴会場と、ここに来れば「娯楽の全てが手に入る」と言われたほど、ミナミを代表する一大レジャービルとしてその名を轟かせていました。
高度経済成長期、バブルの活況、90年代の低迷を経て、若いオーナーを中心に少しずつ様々なお店が入るようになった2000年代。
その後、2010年代の“裏なんば”ブームとともに、サブカルチャー好きが集まるスポットとしてさらなる盛り上がりを見せ、東京の新宿ゴールデン街と並び、古き良きアングラ文化の発信地として確固たる地位を築きます。
そんな中、直撃したパンデミック。宴会場は2020年に休業を余儀なくされ、そのまま閉鎖を迎えます。ホテルや他のフロアもことごとく閉鎖していき、この度、2階フロアの閉鎖も決定したというわけです。
元はキャバレーで、現在はライブハウスとして使われている地下の「ユニバース」は、2025年5月いっぱいでの閉業を予定しています。
ちなみに、筆者初めてのユニバースは2017年3月のYogee New Wavesのライブでした。その後もnever young beach、tofubeats、KID FRESINO、思い出野郎Aチームなどいろんなジャンルのアーティストを観に行きました。
思い入れのある場所がなくなるのは寂しいですが、ユニバースに関してはもうしばらく続くので、閉まるまでには絶対に行きたいです。
今回2つのお店にインタビューしてきました。
実際にお店を運営されている方々の生の声をお聞きください。
『ライブシアター なんば紅鶴』店長 池上さん
-エイキチ
閉鎖が決まった時はどんなお気持ちでしたか。
-池上さん
正直しゃーないかなと。建物の老朽化が激しくて、ビル共通の冷暖房が全く効かないんですわ。ここはお笑いやトークライブをするバーなんですが、真夏なんか来たお客さんがみんな汗だくでドロドロなんです。下手したら外より店内の方が暑い(笑)。僕も今年の夏、開店準備中に熱中症になりましたからね。
-エイキチ
お客さんもネタを見て笑うどころじゃないですね。
-池上さん
もうハコとしては末期。会場のお客さんが環境的に満足できない時点で、ライブ会場としての機能は果たしていない。味園がなくなってしまうのは寂しいものの、いずれ朽ちていくものやから仕方ないと思いますね。
-エイキチ
池上さんから見て、味園ビルってどんな場所ですか。
-池上さん
誰もが主人公になれる場所ですかね。味園にはクズが集まるんですが(笑)、本当にいろんな種類のクズに出会うので、ここに来ればみんな優しくなれるんですね。テーマパークみたいな所というか。でもディスニーじゃないんです。ミッキーマウスという絶対的な存在はいない。例えるならやっぱりユニバ。来た人全員が主役になれるんです。
-エイキチ
『紅鶴』さんは、味園閉鎖後はどうされるんですか。
-池上さん
他にも『白鯨』など、系列店が味園ビルだけで4店舗あるんですが、それぞれ移転先が決まってます。この近くとか日本橋とか。また新たな場所で、カルチャーの発信地としてやっていけたらなと思います。
『マンティコア』店主 リシュウさん
-エイキチ
「赤犬」というバンドでベースを担当されているリシュウさんですが、こちらのバーはどういった経緯でオープンされたんですか。
赤犬(あかいぬ)は日本のバンド。1993年に大阪芸術大学の音楽系学科の学生を中心に大阪で結成された。映画『味園ユニバース』にも本人役で出演。
Wikipediaより引用
-リシュウさん
僕自身が味園ビルでよく飲んでいた30代前半の頃に、知り合いから「テナントが空いてるからお店をやらないか」と誘われて。当時ホームページを作る仕事をしていたんですが、「在宅の仕事だし、お店でも出来るからいいか」と、最初は二足のわらじで始めました。それが2007年です。
-エイキチ
オープンした当時の味園ビルってどんな位置付けだったんですか。若者から注目を集める場所だったとか。
-リシュウさん
当時はまだ知る人ぞ知るって感じで、決してホットな場所ではありませんでした。南海通りのアーケードが途絶えた辺りから東側はもっと鬱蒼としていて暗い印象だったんです。それが2010年代から、カルチャー好きの若者も増えてきて、今の盛り上がりにつながるって感じですかね。廊下の照明なんかこれでも明るくなった方ですからね(笑)。
-エイキチ
閉鎖が決まった時は、やはり寂しかったですか。
-リシュウさん
寂しさはありましたが、「もうすぐなくなるだろう」のフラグは前からずっと立っていたので、心の準備は出来ていました。
5階の宴会場は2020年にコロナの影響で閉まりますが、3・4階のホテルに関しては2019年時点で閉まっているので、実はコロナは関係ないんです。ビル全体の閉鎖はその頃から既定路線の認識だったので、あとは「いつ閉まるか」だけでした。逆に今は、お店をよくぞ17年も続けられたなとも思います。
-エイキチ
味園ビル閉鎖と同時に、お店も閉められるとのことですが、「続けてほしい」という声も多いのでは。
-リシュウさん
それはあります。自分自身が辞めることに関してはそこまで特別な感情はないのですが、いろんな人々が集まる場所をなくしてしまうことの寂しさの方が強いですかね。お店というのは、共通の話題や知り合いが生まれ、そこから仕事やその先の展望が広がるハブとしての機能もあるじゃないですか。それを失うもったいなさはすごく感じます。
-エイキチ
それでは最後に、リシュウさんにとって味園ビルとは。
-リシュウさん
やっぱりそうきますよね(笑)。
なんだろう、自分の人生にとっての分岐点かな。こんなに長く続いた仕事は他にないし、味園で働いた17年間があったから、これからの未来も歩めると思っています。
実際、今住んでいる家もこの近くですし、バンドが集まるスタジオも近い。ライブをやる『ユニバース』もこの地下、職場はここ。僕の生活って半径50m以内で完結できるんですよ(笑)。その一つがなくなるのは大きいですね。
〜編集後記〜
味園ビルを訪れるたびに、禍々(まがまが)しくも沸々とみなぎるパワーを感じます。そんな唯一無二の空間である味園ビルがなくなるのは、やはり悲しいです。
みなさん口を揃えて「仕方ない」とはおっしゃるものの、新しいものばかりに目を向けて、街が均一的な造りになって行くことに虚しさと違和感を覚えます。
確かに大阪の街は「良く」なっているとは思います。しかし、「変える」だけではなく、「残す」という美学もあることを、多くの人が理解していければな、と改めて思いました。
もうすぐ終わりを迎える味園ビル。『紅鶴』『マンティコア』を始めとした、個性豊かなお店を訪れるチャンスは残りわずかです。是非とも足を運んでみてはいかが。
味園ビル
【住所】大阪府大阪市中央区千日前二丁目3-9