本町の分譲賃貸にて
2月某日。「本町のガッツリ住める事務所、駅徒歩2分の59㎡ムックワンルーム。」へやってきた。室内は一面に無垢材が敷かれており、玄関扉を開けるとともに、「いいじゃ、ないの」とエレキテルな声が漏れる仕上がりである。
対して、水回りは非常にレトロであった。丸い玉砂利が敷かれたトイレのインパクトも非常に印象的で、もはやレトロを通り越して侘び寂びすら感じさせる。
パウダールームまで惜しみなく敷かれた無垢材のヌクモリも、さすがにこれらを見た後では、明け方の湯たんぽくらいの余熱になってしまった。同じ温度で粉ミルクを作ったならば、人肌を学びなおして来いと乳飲み子に叱られるだろう。
そして、この洗濯機置場もまた違和感を感じるのだ。よく見ると給水用の蛇口がなく、排水口も塞がれた状態。これはもはや”ただの台”ではないか。
もしもわたしが夏目漱石なら、「吾輩は洗濯機置場である。排水はもうない。」などと物語を始めかねない。
極めつけは、どう見てもヒモにしか思えない洗面台のタオル掛け。使い勝手が想像できない未知の仕様は、奇抜すぎてトレンドが読み取れないファッションショーを見たときの感覚に似ている。
ワイヤーなのか材質すらはっきりとしないものの、重力に逆らってアーチを描くこのヒモなら、タオルを掛けても大丈夫そうだということは分かった。
時として、水回りは年季だけでなくクセが詰め込まれていることがある。それは今回のように、「無垢床」という人気条件が霞むほどの威力をもち、物件の印象を大きく左右するものだと実感した出来事であった。